日曜日も営業!船橋市の腰痛専門あかり接骨院

船橋市 新京成線二和向台駅 徒歩5分 腰痛専門あかり接骨院

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院長プロフィール

こんにちは!
あかり接骨院院長の石川明人 39歳です。
この業界に入って20年になります。
 
千葉県船橋市咲が丘、二和という地域で
あかり接骨院をやっています。
最寄り駅は、
新京成線の二和向台駅で、
この駅から歩いてだいたい5分ぐらいのところにあります。
 
この地域に開業して
平成29年の時点で8年目になります。
 
開業当初は周りに接骨院は少なかったのですが、
現在はだいぶ接骨院が増えています。
あたたかくて面白くて楽しい患者様に支えられながら、
日々営業しています。
 
接骨院のスタイルは、以前と比べてだいぶ変わりました。
接骨院は本来怪我を治すところですが、
 
現在はけがをしたら整形外科や病院に行かれる方が多く、
接骨院で怪我を治すということが少なくなりました。
 
現在は慢性疾患と言って、
内臓に疾患があるわけではなくても、
肩や腰など、体のどこかに痛みがある状態のことを言いますが、
 
このような症状の方が多く来院されます。
 
私は、柔道整復師として、
怪我の治療や処置固定方法について学ぼうと、
勉強し経験を積んできました。
 
ですが、現在では時代がかなり変化し、
この知識だけでは患者さんのニーズにこたえることができないことを
ヒシヒシと感じてきていました。
 
そして、その時代がやってきました。
 
そんな時に僕は
ある先生との出会いから
 時代にあった治療法に出会うことができ、
そこから一気に治療へ対する考えや勉強、
治療スタイルも変わりました。
 
そこで、現在は、柔道整復師としての業務とともに、
慢性的な症状の患者様のニーズにお応えできるようにと、
日々勉強実践しています。
 
かといって、
怪我の治療をしないということではなく、
怪我の知識を師匠から沢山学ばせて頂き、
柔道整復師としての伝統を引き継ぐ気持ちも忘れていません。
 
それでは、これから僕が
柔道整復師年になろうと決めたきっかけから、
 
現代に合った治療スタイルを始めた流れについて
お話していきたいと思います。
 

学生時代

私は小学4年生からミニバスケットを始め、
高校で引退するまでは“3度の飯よりバスケット”のバスケ一筋。
 
ミニバスでは、全国大会に出場しました。 
 
中学では、
プロ野球選手を目指し野球部に入るつもりでしたが、
ミニバスでの負けて終わった不完全燃焼感が抜けきれずバスケ部に入部しました。
 
1,2年時は、レギュラーに入れず、挫折した日々を過ごし、
自分たちの代になると、新人戦でいきなり県大会3位の成績を収めました。
 
3年時には、
新しく赴任してきた先生が“県選抜の強化委員長”という方で、
20代後半で若くて厳しい、いわゆる“バリバリのスポ根監督”。
 
その監督のもとでビシバシと指導されるました。
 
結果は、
県2位のチームに負けて青春の一ページが終わりました。。。
 
 夏休みも終わる頃になると、
当たり前ですが進路を決めなくてはなりません。
 
“3度の飯よりバスケット”、文武両道とは程遠い人間で、
勉強が大の付くくらい苦手です。
そこへ願ってもないバスケットでのお誘いの話がありました。
それも、特待生としてです。
 
『これで勉強をしなくて済む!!』
すぐに飛びつきました。
 
 
 高校は地元の高校に進学しました。
県2位の強豪校でした。
 
スポーツでの推薦入学だったので卒業を待つ身だけ。
皆が受験に励んでいる頃、
私は週に2~3回授業終了後に高校の練習に参加させてもらいました。
 
高校バスケのスピード感は中学では感じないもので、
そこにいる全員が上手く見えました。
『凄いところに入るんだなぁ』と感じたのが第一印象でした。
 晴れて入学でき、入学後早々から試合に出させてもらいました。
 
私が入った分、レギュラーを外され、
ユニフォームを脱がされ、ベンチからギャラリーへ応援に回った先輩がいる訳です。

一昔前だったので鉄拳制裁や指導という名の暴力があるのかと覚悟をしていたら、
先輩たちや同級生から優しい言葉をいっぱいもらいました。
私は、特待生の名に恥じないよう、
外された先輩たちが外されたことが納得できるように出来る限りの努力をしました。
振り返ると、この時期がバスケット人生で一番楽しい時期でした。
当然、練習は連日ハードでしたが、毎日が楽しく充実していたので苦しい練習も全然耐えられました。

しかし、1年生から試合に出ていると、他校からのマークが厳しくなり(生意気と思われる)、とても反則(ファール)とは思えない意図的で悪質な肘や膝などが入り、打撲や捻挫などの怪我も増えるようになりました。
無理して練習をしていたこともあり、あちこと庇うようになり、全身のバランスが崩れていき、下半身を中心とした痛みは日常的にありました。
ヒドイ時は、腰が痛くて授業中椅子に座っていられないくらいです。
階段も手すりをつたわなくては昇り降りできないくらいの時もしょっちゅう。
 足首を骨折し、松葉杖生活の時もありました。
 
 自分たちの代になると、部長に任命されてチームをまとめました。
監督の指示とチームメイトの反応と、
チームを1つにまとめていくことの大変さを勉強する日々。
また、やんちゃ盛りの時期です。
部活動以外での問題も多く、連帯責任として一番上に立つ立場の責任感も
この時に色々経験することができました。
 
バスケットの方は、努力も空しく、
優勝チームに早々と当たり負けてしまいました。
 
また青春の一ページが終わりました。
 

バスケット人生から気づけた私の進路

 
 その後、大学でもバスケットをするつもりでしたが、
受験に失敗。
途方に暮れながら、今一度大学で自分のプレーが本当に通用するかを熟慮してみました。こんなボロボロの体では通用しないだろうし、正直、自信もなくなっていました。
あんなに大好きだったバスケットへの情熱が不思議と冷めてきていることを感じました。
そうしたら、大学でもバスケットを続けていくこともスッパリ諦めることができました。
その後は、バスケットに費やした情熱を勉強の方に向けてみよう、と思い、
浪人しました。
そう決意するも、結局、私立文系はサラリーマンにしかなれない思い、
夏くらいには大学進学も諦めていました。 
 
バスケットしかしてこなかった人生です。
趣味も、特技もバスケット。
それが無くなると心にポッカリと穴が開いたようで、何も手がつかない日々を送っていました。
 
神様が人生の方向転換をしてくれたのだと思い、余る時間を将来について考えてみました。振り返ってみると、やはり私にはバスケットでの経験でした。
経験といっても、バスケットを通じて怪我した経験です。 
 
『あの怪我さえなければ・・・』
『あの時にしっかり治療していれば・・・』
 『あれ?そういえば、あの時に怪我をして治療してくれた接骨院って・・・』
 
 思い出したのは、怪我をする度にお世話になった小学からの同級生の接骨院です。
バスケで怪我をするたびに接骨院へ行ってみてもらい、さらに高校時代のスランプ時など親身に色々とアドバイスを頂いたりしていました。
 
副院長(同級生のおじさん)は元バスケ選手でもあったので、
細かいバスケの指導や怪我のリハビリや自宅でのケア、やってはいけない動作などをたくさん教わりました。
そんな同級生の接骨院の雰囲気が大好きで、家に帰るよりも、接骨院で過ごす時間の方が圧倒的に多かったように思います。
私にはパワースポットのような場所でした。 
そんな怪我をした経験を思い出し、私自身も、先生を目指して怪我で悩んでいる学生を治療し、怪我で青春時代を有意義に過ごしてもらうお手伝いができる治療家になることを目標にしてみました。
 
同級生やそのご両親の後押しもあり、柔道整復師の道を志ました。 
 
当時は柔整の学校へ入るのは、かなり狭き門で、
学力があっても入れないくらい厳しい時代でした。
決断した時期も遅く、専門学校の入試もギリギリの時期になっていました。
想像以上に倍率が高かったこともあり、
残念ながら不合格。(単に学力が足りていなだけ)
 
しかし、 そこで諦めず、一年浪人をして、また次年度に賭けました。
 

 柔道整復師の修業時代

 
その間は、埼玉県川口市の先生のもとで修行することになりました。
 今では死語に近くなりましたが、
寮に住み込みで働く、いわゆる、丁稚奉公です。
 
 昼間は終日接骨院での助手作業をしながら、
試験勉強をし翌年無事に専門学校に入学することができました。
 
 入学後は、昼間は研修をし、夜は夜間部の学校と二足の生活が始まりました。
接骨院は、朝8時から患者さんの来院があり、午前中は比較的外傷といって前日に怪我をした方が朝方に多くみられました。
午後も、部活動や社会人を中心に怪我の方が多くみられました。
そのため、臨床経験はたくさん積むことができました。
 
 学校から寮に帰宅すると、夜も深い時間になってしまします。 
テスト前も関係なくこのスケジュールの中、勉強をしなければいけません。
赤点を取ると、追試のために学校に行かなくてなりません。
そして、赤点を取ると師匠には笑われていましたが、本音は違うと思います。。
様々なプレッシャーの中、毎日頑張っていました。 
この生活が3年間続き無事に国家試験にも合格し晴れて先生になれました。

先ほども書いたように、そこの接骨院では、怪我や特にスポーツ外傷の患者さんが多く来ていたので早期治癒に力をいれていました。
当時は整形外科が少なく、“骨折と言えば接骨院”という流れがありました。
やはり、私自身、怪我が多かったので、学生たちの怪我をして悶々とする感情には共感できたので親身になって対応していました。
そんな学生たちは、市内や県内はもとより、東京、千葉県、茨城からも通っていました。
師匠は、外傷のスペシャリストで、あらゆる怪我を治してしまいます。
 
師匠から教わった技術や考え、新しいものを取り入れる柔軟さや勉強熱心さは、今でも尊敬しています。
師匠のもとで修業させていただいた経験が今の私の基礎を作っています。
本当に感謝しています。
 
 そこでは5年間研修しました。
 
 5年間師匠の下で修業させていただいた中で、少しでも師匠に近づくためにはもっと数を経験しなくては。と思い、修行での経験を生かせる整形外科へ転職しました。 
 
埼玉県は所沢にある整形外科です。
 
整形外科時代は、勉強したことをどんどん生かすことができる職場でした。
 
通常は手術でしか治る見込みがないような患者さんの骨折を、手で整復し、リハビリを経て完治する。という経験を沢山できたのもよかったです。
 
そして、完治して最後に見送る場面の何とも言えない達成感が一番の喜びでした。
 
 
 
 その中でも一番の印象にあるのは、ある40代男性の美容師さんでした。
 
 バイクで後ろから車に当て逃げされて来院されました。
 
 その患者さんは、手の親指の骨折と脱臼をしておりました。
 
ドクターは手術を勧めました。
 
しかし、
 
『ボスとしてやっているから仕事はどうしても休めない。毎日言うこと聞いて通うから手術だけは勘弁してください!』とのことでした。
 
 ドクターも、『それでは、何とかしてあげなさい』とのこと。
 
 研修時代も経験したことのない骨折です。
 
正直、全然自信がありませんでしたが、“逃げたら負けだ!”そう思い覚悟を決めて集中しました。
 
手が震えていたのを今でも覚えています。
 
結果、ドクターからも『手で治したにしては十分でしょう。』と言って頂きました。  
 
その患者さんには今でも髪を切ってもらっています。
結果的に、この整形外科での4年間でも大きく成長できました。
 
 最後の年は、柔整の教員免許を取得しました。
 
師匠の背中を追い、やがては後世の指導と経験を少しでも伝えていきたいと思ってのことでした。 
 
その後は、東京と神奈川に店舗展開をしている治療院に転職しました。
 

 時代の変化とともに思考も変化

 
時代が変わり、専門学校が増え、治療院も巷に増えてきている状況でした。 
 
これからは、技術だけでなく、治療院の管理業務(経営)も大切になってくるだろうと思い、そこでは主にマネージャーとしてのノウハウを学びました。
 
 
グループ店(7店舗)ということもあり、スタッフは入れ替わりが多かったですが、
人材育成の大切さや苦労を味わえました。
 
治療家は技術が大事なのは当たり前ですが、
想いの方がもっと大事なんだな、ということを学ばせて頂きました。
 
そこでは2年間勤務しました。
 
 治療技術、そして経営ノウハウを身に着けたら開業しよう。
という、自分の中でのビジョンがあり、 
平成21年10月10日にあかり接骨院を開業するに至りました。
 
開業してからは、地域の方に知っていただくために、
日々院外活動に頑張っていました。
 
そして徐々に患者様に来院頂けるようになりました。
 
ところが最近感じることが多いのです。
 
接骨院なのに、なぜか最近だるいとか、
 
偏頭痛がするなど、
 
怪我よりも不定愁訴の患者さんが多いことを感じていました。
 
 
 
 
そんな中、専門学校で一般臨床医学を担当されていたドクターが、
操体法という手技を使い、体のゆがみを取って、
体を良くしようという治療法『SPAT療法』を開発していることを知りました。 
 
そして、専門時代の同級生がその一番弟子でした。
 
 
 すぐさま教えを請いに出向きました。
その先生が教えてくれたことは、
気持ちいいは体にいいと言うことです。
身体の素直な反応に耳を傾け、その反応に合わせて身体のゆがみを取っていきます。
気持ちい感じを味わうことで、自分本来が持っている免疫力を高めながら、
身体を根本的に良くしていこうということです。
 
それまで僕が学んできたことは、
起きた怪我に対しての処置でしたが、
 
先生に出会ったことで、
身体のゆがみが原因となって症状が出ていること知り、
また、
身体のゆがみを取ることで、
怪我を防ぐこともできるし、
怪我をしても治りやすい身体にすることができることを知りました。
 
 
 
SPAT療法を学んでいうと、人の体についてより詳しくなるのは当たり前ですが、
人の体は複雑のようで実はシンプルなんだと考えさせられる日々です。
 
現在では、SPAT療法で学んだ知識を生かしながら、患者様の施術や、生活指導などのお話をしています。
 
 
 
また、3年前からは、SPAT療法認定指導講師として、SPAT療法の普及活動にも力を入れております。
 
 現在はほぼ一人で運営する治療院ですが、患者様に対する思いは熱く、健康のお手伝いをさせて頂けることができればと思っています。   
 

治療の際に心がけていること

 患者さんの、よくなりました!という言葉を頂けるたびに、とてもうれしい気持ちでいっぱいになります。 現代はストレス社会で、原因不明の痛みや不調で悩む患者様も増えています。患者様一人一人の症状にあった方法で、痛みや症状の根本的なところから改善できるよう心がけています。 

趣味

映画鑑賞  

好きな食べ物

 カレーライス、甘いお菓子 

好きなスポーツ

野球・バスケ・サッカー 

休日の過ごし方

 娘と散歩することが今一番の楽しみです。 

取得ライセンス

柔道整復師柔道整復師専科教員免許SPATマスターセラピストB/Sスパンゲ 巻き爪治療ライセンス不妊、内臓整体セラピスト   

本気で治療したい方、まずはご相談ください

047-498-9399

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